2010年09月24日

ハーリーの歴史(過去記事)

那覇ハーリーの爬龍船最近ではスポーツとしても認知されてきたハーリーですが、ウチナーンチュが世界に誇る伝統文化としての側面は絶対に忘れてはいけません。

偉大な先祖達が築き上げてきたこのハーリー文化!!

元々は、豊漁と安全祈願を目的とした海神祭の一環として執り行われるもので、龍にみたてた船で競漕することから爬龍船(はりゅうせん)競漕とも呼ばれています。

いつの日も神聖な儀式としての「御願(ウガン)バーリー」と正しい歴史認識を基軸に、今後ともハーリーが発展していく事を切に願う今日この頃です。

以下は過去記事になりますが、ユッカヌヒーが始まる前に今一度ハーリーの歴史について考えてみましょう!!

ハーリーは1390年頃に中国の福建省や広東省などの東シナ海沿岸部から伝わったと言うのが定説とされます。

その後、琉球王府の国家行事となり、豊漁と安全祈願を目的とする海神祭として全島各地に広がっていきました。また、中国からの使者をもてなす際には龍潭池で爬竜舟を浮かべたと言う記録も存在します。

しかし、沖縄のどの地域に、どの様にして伝わったかと言う点は、様々な説が存在します


豊見城を発祥の地とする説もあれば、那覇を発祥とする説もあり、また八重瀬町をドライブしていると港川に「ハーリー発祥の地」と言う看板もあることから、「一体何処がハーリー発祥の地なんだろう?」っと混乱してしまう方々も結構いらっしゃるようです。

実は、ハーリーの由来説にはいくつかあり、地域レベル・教育機関レベルでのリサーチが以前よりも進展はしてきたとは言え、立証できるほどの情報が不足していると言うのが現状の様ですね。


琉球の歴史書・『球陽』には下記にある3つの定説が記載されています。


1. 中国から沖縄に定住した36姓が那覇で龍舟競漕をした。

2. (那覇の)長濱大夫(ナガハマダイユ)が中国の南京で龍舟の作り方を習い、5月始めに那覇の港で競漕をした。

3. 豊見城城主・汪応祖(オウオウソorワンオウソ)が中国留学時代に見た龍舟を建造させ、豊見城下の漫湖で龍舟を浮かべて遊覧した。その後、これを人々が真似るようになり、那覇、久米、泊村の龍舟はハーリー発祥の地とされる豊見城市までおもむいて豊見瀬嶽(豊見城城趾公園内)で祈願をするようになった。


ハーリーの歴史(過去記事)どの説が正しいかは、歴史家では無いのでわかりませんが、その3説の中でより多くの詳細が残されているのが豊見城城主・汪応祖にまつわる説です。

琉球国由来記』や『琉球国日記』などの古い文献にも、那覇ハーリー前には龍舟で漫湖にある小さな浮島・津屋に漕いでいって、豊見城のグスク内にある豊見瀬御嶽で祈願なされたとされたとされています。

この『てぃーみぐすくぬぶい(豊見城上り)』は、琉球王朝時代から脈々と受け継がれてきた儀式でしたが、廃藩置県の時に禁止され、2004年に125年ぶりに豊見城市が『ハーリー由来祭り』と称するイベントを通して、『てぃーみぐすくぬぶい(豊見城上り)』を復活させました。そして、豊見城のグスク内の神事の詳細が、それらの歴史の文献には記述されています。


その後、南山の貿易港であった糸満で行われるようになり、糸満ではその後のハーリー(糸満ではハーレー)が盛んに執り行われるようになったとされています。

尚、八重山地方や宮古島などは、糸満の勇敢な海人たちによって伝えられたもので、糸満海人がハーリー文化に多大な影響を与えていることを物語っております。


※参考: 球陽宝ハーリークラブHP糸満ハーレーの歴史



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Posted by Okinawa Harlee Network at 21:28│Comments(0)伝統・文化
 
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